増鏡 - 07 おりゐる雲

春過ぎ夏たけ、年去り年きたれば、康元元年にもなりにけり。太政大臣の第二の御娘、〈 東二条院公子 〉女御に参り給ふ。女院の御はらからなれば、過ぐし給へる程なれど、かかる例はあまた侍るべし。十二月十七日、豊の明かりの頃なれば、内わたり花やかなるに、いとどうち添へて今めかしうめでたく、其の日御消息を聞え給ふ。
夕暮にまつぞ久しき千年までかはらぬ色の今日の例を
関白書かせ給ひけり。紅のにほひの箔もなき、八重に重ねたるを、結びて包まれたり。時成りぬとて人々まう上りあつまる。女御の君、裏濃き蘇芳七・濃き一重・蘇芳の表着・赤色の唐衣・濃き袴奉れり。准后添ひて参り給ふ。皆紅の八・萌黄の表着・赤色の唐衣き給ふ。出車十両、皆二人づつ乗るべし。一の車、左に一条殿太政大臣の娘、右に二条殿公俊の大納言の女、二の左按察君隆衡〔の大納言〕の女、右に中納言の君実任の娘、三の左に民部卿殿、右別当殿、其の次々くだくだしければとどめつ。御童・下仕へ・御はした・御雑仕・御ひすましなどいふ物まで、かたちよきをえりととのへられたる、いみじう見所あるべし。御兄の殿原、右大臣公相・内大臣公基参り給ふ。限りなくよそほしげなり。院の御子にさへし奉らせ給へれば、
いよいよいつかれ給ふ様、いはん方無し。侍賢門院の、白河院の御子とて、鳥羽院に参り給へりし例にやとぞ、心あてには覚え侍りし。院の一つ御腹の姫君、此の頃皇后宮とて、其の御方の内侍ぞ、御使ひに参る。まう上り給ふ程も、女御はいとはづかしく、似げなき事に思したれば、とみにはえ動かれ給はぬを、人々そそのかし申し給ふ。御太刀一条殿、御木丁按察殿、御火とり中納言持たれたり。上は十四になり給ふに、女御は二十五にておはしける。御門、きびはなる御程を、中々、あなづらはしきかたに思ひなし聞え給ひぬべかりつるに、いとざれて、つつましげならず聞えかかり給ふを、准后は美しと見奉らせ給ふ。御衾は、紅のうち八四方なるに、上にはうはざしの組あり。糸の色など、清らにめでたし。例の事なれば、准后奉り給ふ。太政大臣も、三日が程は候ひ給ふ。上達部に勧盃あり。
二十三日、又御消息参る。御使ひ頭の中将通世、こたみも殿書かせ給ふめり。此の頃、殿と聞ゆるは、太政大臣兼平の大臣、岡の屋殿の御弟ぞかし。後には照念院〔殿〕と申しけり。御手勝れてめでたく書かせ給ひしよ。鷹司殿の御家の始めなるべし。
朝日影今日よりしるき雲の上の空にぞ千代の色も見えける
御返し、太政大臣聞え給ふ。
朝日影あらはれそむる雲の上に行すゑ遠き契をぞしる
女の装束、細長添へてかづけ給ふ。
今日はじめて、内の上、女御の御方に渡らせ給ふ。御供に関白殿・右大臣公相・内大臣公基・四条の大納言隆親・権大納言実相良教通成・左大将基平など、おしなべたらぬ人々参り給ふ。餅の使ひ、頭中将隆顕仕うまつる。太政大臣、夜の御殿よりとりいれ給ふ。御心の中のいはひ、いかばかりかとおしはからる。人々の禄、紅梅のにほひ・萌黄の表着・葡萄染めの唐衣・袿・細長・こしざしなど、しなじなに従ひて、けぢめあるべし。
かくて今年は暮れぬ。正月、いつしか后に立ち給ふ。只人の御女の、かく后・国母にて立ち続き候ひ給へる、例稀にやあらん。大臣の御栄えなめり。御子二人大臣にておはす。公相・公基とて、大将にも左右に並びておはせしぞかし。これも、例いとあまたは聞えぬ事なるべし。我が御身太政大臣にて、二人の大将を引き具して、最勝講なりしかとよ、参り給へりし御勢ひのめでたさは、めづらかなる程にぞ侍りし。后・国母の御親、御門の御祖父にて、誠に其の器物に足りぬと見え給へり。昔後鳥羽院に候ひし下野の君は、さる世のふるき人にて、大臣に聞えける。
藤波の影さしならぶ三笠山人にこえたる梢とぞ見る返し、大臣、
思ひやれ三笠の山の藤の花咲きならべつつ見つる心を
かかる御家の栄えを、自らもやんごとなしと思しつづけてよみ給ひける。
春雨は四方の草木をわかねどもしげきめぐみは我が身也けり
正嘉元年の春の頃より、承明門院御悩み重らせ給へば、院もいみじう驚かせ給ひて、御修法何かと聞えつれど、遂に七月五日、御年八十七にてかくれさせ給ひぬ。ことわりの御年の程なれど、昔の御名残とあはれにいとほしう、いたづき奉らせ給ひつるに、あへなくて、御法事など懇ろにおきて宣はする、いとめでたき御身なりかし。明くる年八月七日、二の皇子〈 亀山の院 〉坊にゐ給ひぬ。御年十なり。万定まりぬる世の中、めでたく心のどかに思さるべし。
其のまたの年、正嘉三年三月二十日なりしにや、高野御幸こそ、又来し方行くすゑも例あらじと見ゆるまで、世の営み、天の下の騒ぎには侍りしか。関白殿・左右大臣・内大臣・左右の大将・検非違使の別当を始めて、残るは少なし。馬・鞍、随身・舎人・雑色・童の、髪・かたち・たけ・姿まで、かたほなるなくえりととのへ、心を尽くしたるよそほひども、かずかずは筆にも及び難し。かかる色もありけりと、珍しく驚かるる程になん。銀・黄金を延べ、二重三重の織物・縫物、唐・大和の綾錦、紅梅の直衣、桜の唐の木の紋・裾濃・浮線綾、色々様々なりし上の衣・狩衣、思ひ思ひの衣を出だせり。いかなる龍田姫の錦も、かかる類はありがたくこそ見え侍りけれ。かたみに語らふ人はあらざりけめど、同じ紋も色も侍らざりけるぞ、不思議なる。あまりに染め尽して、某の中将とかや、紺村濃の指貫をさへぞ着たりける。それしもめづらかにて、いやしくも見え侍らざりけるとかや。院の御様かたち、所がらはいとど光を添へて、めでたく見え給ふ。後土御門の内大臣定通の御子の顕定の大納言、大将望み給ひしを、院もさりぬべくおほせられければ、除目の夜、殿の内の者どもも心づかひして、侍るを心もとなく思ひあへるに、引きたがへて、先に聞えつる公基の大臣におはせしやらん、なり給へりしかば、怨みに堪えず、頭おろして、此の高野に篭り居給へるを、いとほしくあへ無しと思されければ、今日の御幸のついでに、彼の室を尋ねさせ給ひて、御対面あるべく仰せられ遣はしたるに、昨日までおはしけるが、夜の間に、彼の庵をかきはらひ、跡もなくしなして、〔いと〕清げに、白き砂ばかりを、ことさらに散らしたりと見えて、人も無し。我が身は桂の葉室の山庄へ逃げ上り給ひにけり。その由奏しければ、「今更に見えじとなり、いとからい心かな」とぞ、宣はせける。
かくのみ所々に御幸しげう、御心ゆく事隙なくて、いささかも思し結ぼるる事もなく、めでたき御有様なれば、仕うまつる人々までも、思ふ事なき世なり。吉田の院にても、常は御歌合などし給ふ。鳥羽殿には、いと久しくおはします折のみあり。春の頃、御幸ありしには、御門も御鞠に立たせ給へり。二条の関白良実上鞠し給ひき。内の女房など召して、池の御船に乗せて、物の音ども吹きあはせ、様々の風流の破子・引出物など、こちたき事どももしげかりき。又嵯峨の亀山のふもと、大井川の北の岸にあたりて、ゆゆしき院をぞ造らせ給へる。小倉の山の梢、戸無瀬の滝も、さながら御垣の内に見えて、わざとつくろはぬ前栽も、おのづから情けを加へたる所がら、いみじき絵師といふとも、筆及び難し。寝殿のならびに、乾にあたりて、西に薬草院、東に如来寿量院などいふもあり。橘大后の昔建てられたりし壇林寺といひし、今は破壊して礎ばかりになりたれば、其の跡に浄金剛院といふ御堂を建てさせ給へるに、道観上人を長老になされて、浄土宗を置かる。天王寺の金堂うつさせ給ひて、多宝院とかや建てられたり。川に臨みて桟敷殿造らる。大多勝院と聞ゆるは、寝殿の続き、御持仏すゑ奉らせ給へり。かやうの引き離れたる道は、廊・渡殿・そり橋などを遙かにして、すべていかめしう三葉四葉に磨きたてられたる、いとめでたし。
正元元年三月五日、西園寺の花ざかりに、大宮院、一切経供養せさせ給ふ。年頃思しおきてけるをも、いたくしろしめさぬに、女の御願にて、いと賢く、ありがたき御事なれば、院も同じ御心にゐ立ち宣ふ。楽屋の者ども、地下も殿上も、なべてならぬをえりととのへらる。其の日になりて行幸あり。春宮も同じく行啓なる。大臣・上達部、皆上の衣にて、左右にわかれて、御階の間の勾欄に著き給ふ。法会の儀式、いみじくめでたき事ども、まねび難し。
又の日、御前の御遊び始まる。御門〈 後深草院 〉御琵琶、春宮御笛、まだいと小さき御程に、びむづら結ひて、御かたちまほに美しげにて、吹きたて給へる音の、雲井を響かして、あまり恐ろしき程なれば、天つ乙女もかくやと覚えて、太政大臣〔実氏〕、事忌みも〔え〕し給はず、目おしのごひつつためらひかね給へるを、ことわりに、老しらへる大臣・上達部など、皆御袖どもうるほひ渡りぬ。女院の御心の内、ましておき所なく思さるらんかし。前の世に、いかばかり功徳の御身にて、かく思す様にめでたき御栄えを見給ふらんと、思ひやり聞ゆるも、ゆゆしきまでぞ侍りし。御遊び果てて後、文台めさる。院の御製、
色々に枝をつらねて咲きにけり花も我が世も今盛りかも
あたりをはらひて、きはなくめでたく聞こえけるに、主の大臣、歌さへぞ、かけあひて侍りしや。
色々にさかへて匂へ桜花我君々の千代のかざしに
末まで多かりしかど、例のさのみはにて、とどめつ。いかめしうひびきて帰らせ給ひぬる又の朝、無量光院の〔花の〕もとにて、大臣、昨日の名残思し出づるもいみじうて、
此の春ぞ心の色はひらけぬる六十あまりの花は見しかど
其の年の八月二十八日、春宮十一にて御元服し給ふ。御諱恒仁と聞ゆ。世の中に様々ほのめき聞ゆる事あれば、御門は飽かず心細う思されて、夜居の間の静かなる御物語のついでに、内侍所の御拝の数をかぞへられければ、五千七十四日なりけるを承りて、弁の内侍、
千代といへば五つ重ねて七十に余る日数を神は忘れじ
かくて、十一月二十六日、おり居させ給ふ夜、空の気色さへあはれに、雨うちそそぎて、物悲しく見えければ、伊勢の御が、「あひも思はぬももしきを」といひけんふる事さへ、今の心地して、心細くおぼゆ。上も思しまうけ給へれど、剣璽の出でさせ給ふ程、常の御幸に御身を離れざりつるならひ、十三年の御名残、引きわかるるは、猶いとあはれに、忍びがたき御気色を、悲しと見奉りて、弁の内侍、
今はとており居る雲のしぐるれば心の内ぞかき暗しける