隙行く駒の足にまかせて、文永も五年に成りぬ。正月二十日、本院のおはします富の小路殿にて、今上の若宮、御五十日聞こし召す。いみじう清らを尽くさるべし。今年正月に閏有り。後の二十日余りの程に、冷泉院にて舞御覧有り。明けむ年、一院、五十に満たせ給ふべければ、御賀あるべしとて、今より世の急ぎに聞こゆ。楽所始めの儀式は、内裏にてぞ有りける。試楽、二十三日と聞こえしを、雨ふりて、明くる日つとめて、人々参り集ふ。新院はかねてより渡らせ給へり。寝殿の御階の間に、一院の御座設けたり。其の西によりて、新院の御座を設く。東は大宮院・東二条院、皆白き御袴に、二御衣奉れり。聖護院の法親王・円満院など参り給ふ。土御門の中務の宮も参り給ふ。上達部・殿上人、数多御供し給へり。仁和寺の御室・梶井の法親王なども、すべて残り無く集ひ給ふ。月花門院・花山院の准后などは、大宮院のおはします御座に御几帳押しのけて渡らせ給ふ。寝殿の第四の間に、袖口共心異にて押し出ださる。大納言の二位殿・南の御方など、やむごとなき上臈は、院のおはします御簾の中に、引きさがりて候ひ給ふ。いづれも、白き袴に二衣なり。東のすみの一間は、大宮院・月花門院の女房共参り集ふ。西の二間には、新准后候ひ給ふ。御前の簀子には、関白殿を始めて、右大臣〔基忠〕・内大臣〔家経〕・兵部卿隆親・二条の大納言良教・源大納言通成・花山院の大納言師継・右大将通雅・権大納言基具・一条の中納言公藤・花山院の中納言長雅・左衛門督通頼・中宮権大夫隆顕・大炊御門の中納言信嗣・前の源宰相有資・衣笠宰相の中将経平・左大弁の宰相経俊・新宰相の中将具氏・別当公孝・堀川の三位中将具守・富小路三位中将公雄、皆御階の東に著き給ふ。西の第二の間より、又、前の左大臣実雄・二条の大納言経輔・前の源大納言雅家・中宮大夫雅忠・藤大納言為氏・皇后宮大夫定実・四条の大納言隆行・帥の中納言経任、此の外の上達部、西東の中門の廊、それより下ざま、透渡殿・打橋などまで著きあまれり。皆、直衣に色々の衣重ね給へり。時なりて、舞人共参る。実冬の中将、唐織物の桜の狩衣、紫の濃き薄きにて桜を織れり。赤地の錦の表着・紅の匂の三衣・同じ単・しじらの薄色の指貫、人よりは少しねびたりしも、あな清げと見えたり。大炊御門中将冬輔と言ひしにや、装束先のに変はらず。狩衣はから織物なりき。花山院の中将家長、右大将の御子、魚綾の山吹の狩衣、柳桜を縫ひ物にしたり。紅の打衣を輝くばかりだみ返して、萌黄の匂の三衣・紅の三重の単、浮織物の紫の指貫に、桜を縫ひ物にしたる、珍しく美しく見ゆ。花山院の少将忠季は師継の御子也、桜の結び狩衣、白き糸にて水を隙無く結びたる上に、桜柳を、それも結びてつけたる、なまめかしく艶なり。赤地の錦の表着、金の文をおく。紅の二衣・同じ単・紫の指貫、これも柳桜を縫ひ物に色々の糸にてしたり。中宮の権亮少将公重実藤の大納言の子、唐織物の桜萌黄の狩衣・紅の打衣・紫の匂の三衣・紅の単、指貫例の紫に桜を白く縫ひたり。堀川の少将基俊基具の大納言の子、唐織物、裏山吹、三重の狩衣、柳だすきを青く織れる中に桜を色々に織れり。萌黄の打衣、桜をだみつけにして、輪違へを細く金の文にして、色々の玉をつく。匂つつじの三衣、紅の三重の単、これも箔ちらす。二条の中将経良良教の大納言の御子也、これも唐織物の桜萌黄・紅の衣・同じひとへなり。皇后宮権亮中将実守、これも同じ色の樺桜の三衣・紅梅の〔匂の〕三重の単、右馬頭隆良隆親の子にや、緑苔の赤色の狩衣、玉のくくりを入れ、青き魚綾の表着・紅梅の三衣・同じ二重の単・薄色の指貫、少将実継、松がさねの狩衣・紅の打衣・紫の二衣、これも色々の縫ひ物・おき物など、いとこまかになまめかしくなしたり。陵王の童に、四条の大納言の子、装束常の儘なれど、紫の緑苔の半尻、金の文、赤地の錦の狩衣、青き魚綾の袴、笏木のみなゑり骨、紅の紙にはりて持ちたる用意気色、いみじくもてつけて、めでたく見え侍りけり。笛茂通・隆康、笙は公秋・宗実、篳篥は兼行、太鼓は教実、鞨鼓はあきなり、三の鼓はのりより、左万歳楽、右地久、陵王、輪台、青海波、太平楽、入綾、実冬いみじく舞ひすまされたり。右落蹲、左春鴬囀、右古鳥蘇、後参、賀殿の入綾も実冬舞ひ給ひしにや。暮れかかる程にて、何のあやめも見えずなりにき。御たかだか宮達、あかれ給ひぬ。
同じ二月十七日に、又、新院富の小路殿にて舞御覧。其の朝、大宮院先づ忍びて渡らせ給ふ。一院の御幸は、日たけてなる。冷泉殿より只はひ渡る程なれば、楽人・舞人、今日の装束にて、上達部など皆歩み続く。庇の御車にて、御随身十二人、花を折り錦を立ち重ねて、声々、御さき花やかに追ひ罵りて、近く候ひつる、二無く面白し。新院は、御烏帽子直衣・御袴際にて、中門にて待ち聞こえさせ給ひつる程、いと艶にめでたし。御車中門に寄せて、関白殿、御佩刀取りて、御匣殿に伝へ給ふ。二重織物の萌黄の御几帳のかたびらを出だされて、色々の平文の衣共、物の具は無くて押し出ださる。今日は正親町の院も御堂の隅の間より御覧ぜらる。
大臣・上達部、有りしに変はらず。猶参り加はる人は多けれど、洩れたるは無し。実冬、今日は、花田うら山吹の狩衣、二重うち萌黄など、思ひ思ひ心々に、前には皆引きかへて、様々尽くしたり。基俊の少将、此の度は、桜萌黄の五重の狩衣・紅の匂の五衣、打衣は〔やりつき、〕山吹の匂、浮織物の三重のひとへ・紫の綾の指貫、中に勝れてけうらに見え給へり。此の度は、多く緑苔の衣を着たり。万歳楽を吹きて楽人・舞人参る。池の汀に桙を立つ。春鴬囀・古鳥蘇・後参・輪台・青海波・落蹲など有り。日暮らし面白く罵りて、帰らせ給ふ程に、赤地の錦の袋に御琵琶入れて奉らせ給ふ。刑部卿の君、御簾の中より出ださる。右大将取りて、院の御前に気色ばみ給ふ。胡飲酒の舞は、実俊の中将とかねては聞こえしを、父大臣の事にとどまりにしかば、近衛殿の前の関白殿の御子三位中将と聞こゆる、未だ童にて舞ひ給ふ。別して、此の試楽より先なりしにや、内々白河殿にて試み有りしに、父の殿も御簾の内にて見給ふ。若君いと美しう舞ひ給へば、院めでさせ給ひて、舞の師忠茂、禄賜はりなどしけり。
かやうに聞こゆる程に、蒙古の軍と言ふ事起こりて、御賀止まりぬ。人々口惜しく、本意無しと思すこと限り無し。何事もうちさましたるやうにて、御修法や何やと、公家・武家、只此の騒ぎなり。されども、程無く鎮まりて、いとめでたし。
かくて、今上の若宮、六月二十六日親王の宣旨有りて、同じき八月二十五日、坊にゐ給ひぬ。かく花やかなるにつけても、入道殿はあさましく思さる。故大臣の先だち給ひし歎きに沈みてのみ物し給へど、「かかる世の気色を、賢く見給はぬよ」と思しなぐさむ。中宮は、御服の後も参り給はず。万引きかへ、物怨めしげなる世の中なり。
一院は、御本意をとげ給はん事をやうやう思す。其の年の九月十三夜、白河殿にて月御覧ずるに、上達部・殿上人、例の多く参り集ふ。御歌合有りしかば、内の女房共召されて、色々の引き物、源氏五十四帖の心、様々の風流にして、上達部・殿上人までも分かち賜はす。院の御製、
我のみや影も変はらんあすか川同じふち瀬に月はすむとも
かねてより袖も時雨て墨染めの夕べ色ます峰の紅葉葉此の御歌にてぞ、御本意の事思し定めけりと、皆人、袖をしぼりて、声も変はりけり。あはれにこそ。民部卿入道為家、判ぜさせられけるにも、「身をせめ心をくだきて、かきやる方も侍らず」とかや奏しけり。
かくて神無月の五日、亀山殿へ御幸なる。今日を限りの御旅なれば、心異に整へさせ給ふ。新院も例のおはします。大宮・東二条院、一つ御車にて、同じく渡らせ給ふ。大宮女院は白菊の御衣、東二条院は青紅葉の八、菊の御小袿奉る。先づ、北野・平野の社へ御参りあれば、御随身共花を折り尽くし、今日を限りと、様あしきまで装束きあへり。両社にて、馬上げさせられけり。神もいかに名残多く見給ひけん。空さへうち時雨て、木の葉さそふ嵐も折知り顔に物悲しう、涙争ふ心地し給ふ人々多かるべし。中務の御子、「今日の袂さぞしぐるらん」と宣ひし御返し、中将、
袖ぬらす今日をいつかと思ふにも時雨てつらき神無月かな
やがて其の夜御髪おろし給ひぬ。御戒の師には、青蓮院の法親王参り給ふ。其の頃やがて、御逆修始めさせ給へば、其の程、女院色々の御捧持共奉り給ふ。今は弥法の道をのみもてなさせ給ひつつ、ある時は止観の談義、ある時は真言の深き沙汰・浄土の宗旨などをも尋ねさせ給ひつつ、万に御心通ひ暗からず物し給へば、何事も、前の世より賢くおはしましける程あらはれて、今行末も、げに頼もしく、めでたき御有様なり。
かくて今年も暮れぬ。又の年三月の一日、月花門院、俄に隠れさせ給ひぬ。法皇も女院も、限り無く思ひ聞こえさせ給ひつるに、いとあさまし。さるは誠にや有らん、又、人違へにや、とかく聞こゆる御事共ぞ、いと口惜しき。四辻の彦仁の中将、忍びて参り給ひけるを、基顕の中将、彼の御まねをして、又参り加はりける程に、あさましき御事さへ有りて、それ故隠れさせ給へるなど、ささめく人も侍りけり。猶さまでは有らじと思ひ給ふれど、いかが有りけん。
法皇は、又文永七年神無月の頃、御手づから書かせ給へる法華経一部、供養せさせ給ふ。御八講、名高く才勝れて賢き僧共を召しけり。世の中の人残り無く仕る。新院かねてより渡り給へり。さるべき御事とは申しながら、何につけても、御心ばへのうるはしくなつかしうおはしまして、院の思いたる筋の事は、必ず同じ御心に仕り、いささかも、いでやとうち思さるる一ふしも無く物し給ふを、法皇もいと美しう忝しと思されけり。第二日の夜に入りて行幸もなる。五の巻の日の御捧物共参り集ふ。様々学び尽くし難し。内の御捧物は、紙屋紙に黄金を包みて、柳箱にすゑて、頭弁ぞ持ちたる。つぎに新院・女院達、宮々御方々、皆そなたざまの宮司・殿上人などもて続きたり。関白・大臣など座につき給ふ。大中納言・参議・四位五位などは、自らの捧物を持ちて渡る。各心々にいどみ尽くして、様々をかしき中に、兵部卿隆親は、糸鞋をはきて、鳩の杖をつきて出でたり。此の杖をやがて捧物にとなりけり。銀にてひた打ちにして、先は黄金にて鳩をすゑたりけり。結願の日は、舞楽などいみじく面白くて過ぎぬ。又の年正月に、忍びて新院と御方わかちの事し給ふ。初めは法皇御負けなれば、御勝ちむかひに、上達部皆五節のまねをして、色々の衣あつづまにて、「思ひの津に船のよれかし」とはやして参る。新院引きつくろひて渡り給ふ。御酒いく返りと無く聞こし召さる。一番づつの御引出物、伊勢物語の心とぞ聞こえし。かねの地盤に、銀の伏篭に、たき物くゆらかして、「山は富士の嶺いつと無く」と、又、銀の船に麝香の臍にて、蓑着たる男つくりて、「いざ言問はむ都鳥」など、様々いとなまめかしくをかしくせられけり。わざとことごとしき様には有らざりけり。こたみは、新院よりこそ仙人のまねをして、「梵王は鵝にのる。杯は花にのる」とかやはやして、法皇の御迎ひに参る。上達部の大人び給へるなどは、少し軽々にや見えけんと推し量らる。此の度は、源氏の物語の心にや有りけむ、唐めいたる箱に、金剛子の数珠入れて、五葉の枝につけたり。又、斎院よりの黒方、梅の散り過ぎたる枝につけなど、これもいとささやかなる事共になむ有りける。男・女房、乱りがはしく強ひ交はして、御箏共召し、拍子うち鳴らしなどして明けぬ。
かやうの事にのみ心やりて明かし暮らさせ給ふ程に、又の年の秋になりぬ。東二条院、日頃只にもおはしまさざりつるが、其の御気色有りとて、世の中騒ぐ。院の中にてせさせ給へば、いよいよ人参り集ふ。大法・秘法、残り無く行はる。七仏薬師・五壇の御修法・普賢延命・金剛童子・如法愛染など、すべて数知らず。御験者には、常住院の僧正参り給ふ。八月二十日宵の事なり。既にかと見えさせ給ひつつも、二日・三日になりぬれば、ある限り物覚ゆる人も無し。いと苦しげにし給へば、仁和寺の御室の、如法愛染の大阿闍梨にて候ひ給ふを、御枕上に近く入れ奉らせ給ひて、「いと弱う見え侍るは、いかなるべきにか」と、院も添ひおはしまして、扱ひ聞こえ給ふ様、おろかならねば、あはれと見奉り給ひて、「さりとも、けしうはおはしまさじ。定業の亦能転は、菩薩の誓ひなり。今更妄語有らじ」とて、御心を致して念じ給ふに、験者の僧正も「一持秘密」とて、念珠押しもみたる程、げに頼もしく聞こゆ。御誦経の物共、運び出で、女房の衣など、こちたきまで押し出だせば、奉行取りて、殿上人、北面の上下、あかれあかれに分かち遣はす。そこらの上達部は、階の間の左右に著きて、王子誕生を待つ気色なり。陰陽師・巫女立ちこみて、千度の御祓ひつとむ。御随身・北面の下臈などは、神馬をぞ引くめる。院拝し給ひて、二十一社に奉らせ給ふ。すべて上下・内外罵り満ちたるに、御気色只弱りに弱らせ給へば、今一しほ心惑ひして、さと時雨渡る袖の上も、いとゆゆし。院もかき暗し悲しく思されて、御心の中には、石清水の方を念じ給ひつつ、御手をとらへて泣き給ふに、候ふ限りの人、皆え心強からず。いみじき願共を立てさせ給ふしるしにや、七仏の阿闍梨参りて、「見者歓喜」とうち上げたる程に、辛うじて生まれ給ひぬ。何と言ふも聞こえぬは、姫宮なりけりと、いと口惜しけれど、むげに無き人と見え給へるに、平かにおはするを喜びにて、いかがはせむと思しなぐさむ。人々の禄など常のごとし。法皇も、中々、いたはしくやんごとなき事に思して、いみじくもてはやし奉らせ給ふ。いでやと口惜しく思へる人々多かり。かかるにしも、実雄の大臣の御宿世あらはれて、かたつ方には、心おち居給ふも、世の習ひなれば、理なるべし。五夜・七夜など、異に花やかなる事共にて、過ぎもて行く。
其の頃ほひより、法皇時々御悩み有り。世の大事なれば、御修法共いかめしく始まる。何くれと騒ぎあひたれど、怠らせ給はで、年もかへりぬ。正月の始めも、院の内かいしめりて、いみじく物思ひ歎きあへり。十七日、亀山殿へ御幸なる。これや限りと、上下心細し。法皇は御輿なり。両女院は例の一つ御車に奉る。尻に御匣殿候ひ給ふ。道にて参るべき御煎じ物を、胤成・師成と言ふ医師共、御前にてしたためて、銀の水瓶に入れて、隆良の中納言承りて、北面の信友と言ふに持たせたりけるを、内野の程にて、参らせんとて召したるに、此の瓶に露程も無し。いと珍かなるわざなり。さ程の大事の物を、悪しく持ちて、うちこぼすやうは、いかでか有らん。法皇も、いとど御臆病そひて、心細く思されけり。新院は、大井川の方におはしまして、隙無く、男・女房、上下と無く、「今の程いかにいかに」と聞こえさせ給ふ御使ひの、行き帰る程を、猶いぶせがらせ給ふに、正月も立ちぬ。いかさまにおはしますべきにかと、誰も誰も思し惑ふ事限り無し。かねてより、かやうの為と思しおきてける寿量院へ、二月七日渡り給ふ。ここへは、おぼろけの人は参らず。南松院の僧正、浄金剛院の長老覚道上人などのみ、御前にて、法の道ならでは宣ふ事も無し。六波羅北南、御訪ひに参れり。西園寺の大納言実兼、例の奏し給ふ。十一日、行幸有り。中一日渡らせ給へば、泣く泣く万の事を聞こえ置かせ給ふ。新院も御対面有り。御門は、御本上いと花やかに賢く、御才なども昔に恥ぢず、何事も整ほりてめでたくおはします。世を治めさせ給はん事も、後ろめたからず思せば、聞こえ給ふ筋異なるべし。十七日の朝より、御気色変はるとて、善智識召さる。経海僧正・往生院の聖など参りて、ゆゆしき事共聞こえ知らすべし。遂に、其の日の酉の時に、御年五十三にて隠れさせ給ひぬ。後嵯峨院とぞ申すめる。今年は文永九年なり。院の中くれふたがりて、闇に迷ふ心地すべし。十八日に薬草院に送り奉り給ふ。仁和寺の御室・円満院・聖護院・菩堤院・青蓮院、皆御供仕らせ給ふ。内より頭の中将、御使ひに参る。三十年が程、世をしたためさせ給ひつるに、少しの誤り無く、思す儘にて、新院・御門・春宮、動き無く、又外ざまに分かるべき事も無ければ、思しおくべき一ふしも無し。無き御跡まで、人の靡き仕れる様、来し方も例無き程なり。
二十三日、御初七日に、大宮院御髪おろさる。其の程、いみじく悲しき事多かり。天の下、押しなべて黒み渡りぬ。万しめやかにあはれなる世の気色に、心あるも心無きも、涙催さぬは無し。院・内の御歎きはさる事にて、朝夕むつましく仕りし人々の、思ひ沈みあへる様、理にも過ぎたり。其の中に、経任の中納言は、人より異に御覚え有りき。年も若からねば、定めて頭おろしなんと、皆人思へるに、なよらかなる狩衣にて、御骨の御壺持ち参らせて参れるを、思ひの外にもと、見る人思へり。権中納言公雄と聞こゆるは、皇后宮の御兄なり。早うより、故院いみじくらうたがらせ給ひて、夜昼御傍去らず候ひて、明け暮れ仕らせ給ひしかば、限りある道にもおくらかし給へる事を、若き程に、やる方無く悲しと思ひ入り給へり。西の対の前なる紅梅の、いと美しきを折りて、具氏の宰相の中将、彼の中納言に消息聞こゆ。
梅の花春は春にも有らぬ世をいつと知りてか咲き匂ふらん
返し、
心有らばころもうき世の梅の花折忘れずば匂はざらまし
「夜さり、対面に、何事も聞こえん」と言へるを、此の中将も、故院の御いとほしみの人にて、同じ心なる友に覚えければ、いとあはれにて、悲しき事も語り合はせんと、日ぐらし待ち居たるに、遂に見えず。怪しと思ふに、はや其の夜頭おろしてけり。齢も盛りに、今も皇后宮の御兄、春宮の御伯父なれば、世覚え劣るべくも有らず。思ひなしも頼もしく、誇りかなるべき身にて、かくて捨てはつる程、いみじくあはれなれば、皆人、いとほしう悲しき事に言ひあつかふめり。経任の中納言にはこよなき心ばへにや。父大臣も、院の御事を尽きせず歎き給ふにうち添へて、いみじと思す。
公宗の中納言も、甲斐無き物思ひのつもりにや、はかなくなり給ひぬ。又此の中納言さへかく物し給ひぬるを、様々につけて心細く思すに、いく程無く皇后宮さへ又失せ給ひぬ。いよいよ臥し沈みてのみおはする程に、いと弱う成りまさり給ふ。春宮の御代をもえ待ち出づまじきなめりと、あはれに心細う思し続けて、
はかなくもおふの浦なし君が代にならばと身をも頼みける哉
歎きにたへず、遂に失せ給ひにけり。物思ひには、げに命も尽くるわざなりけり。あはれに悲しと言ひつつも、とまらぬ月日なれば、故院の御日数も程なう過ぎ給ひぬ。世の中は、新院かくておはしませば、法皇の御代はりに引きうつして、さぞ有らんと世の人も思ひ聞こえけるに、当代の御一つ筋にてあるべき様の御おきてなりけり。長講堂領、又播磨の国、尾張の熱田の社などをぞ、御処分有りける。いづれの年なりしにか、新院、六条殿に渡らせ給ひし頃、祇園の神輿互の行幸有りし時、御対面のやうを、故院へ尋ね申されたりしにも、「我とひとしかるべき御事なれば、朝覲になぞらへらるべし」と申されけり。一つ腹の御兄にてもおはします。方々理なるべき世を、思ひの外にもと、思ふ人々も多かるべし。「いでや位におはしますにつきて、差しあたりの御政事などは理なり。新院にも若宮おはしませば、行く末の一ふしは、などかは」など、言ひしろふ。かかれば、いつしか、院がた・内がたと、人の心々も引き別るるやうに、うちつけ事共出で来けり。人一人おはしまさぬあとは、いみじき物にぞ有りける。朝の御まもりとて、田村の将軍より伝はり参りける御佩刀などをも、彼の御気色のしかおはしましけるにや、御隠れの後、やがて内裏へ奉らせ給ひしかば、それなどをぞ、女院の恨めしき御事には、院も思ひ聞こえさせ給ひける。さてしもやはなれば、此の由をも関の東へぞ宣ひ遣はしける。内には、花山院の太政大臣、後院の別当になされて、世の中自らしたためさせ給ふ。もとよりいと花やかに、今めかしき所おはする君にて、万かどかどしうなん。皇后宮隠れさせ給ひにし後は、尽きせぬ御歎きさめがたうて、所せき御有様もよだけう、いかで本意をも遂げてばやなど〔まで〕思されけり。故院の御果ても過ぎさせ給へば、世の中、色改まりて、花やかに、人々の御歎きの色も薄らぎ行くしも、あはれなる習ひなりかし。
其の夏、春宮例にもおはしまさで日頃ふれば、内の上、御胸つぶれて、御修法や何やと騒がせ給ふ。和気・丹波の医師氏成・春成共、夜昼候ひて、御薬の事、色々に仕れど、只同じ様にのみおはす。いかなるべき御事にかと、いとあさましうて、上も、つと此の御方に渡らせ給ひて見奉らせ給ふに、御目の内、大方、御身の色なども、事の外に黄に見えければ、いと怪しうて、御大壺を召し寄せて御覧ぜらる。紙をひたして見せらるるに、いみじう濃く出でたる黄皮の色なり。いとあさましく、などかばかりの事を知り聞こえざらんとて、御気色あしければ、医師共、いたう畏まり、色を失ふ。かばかりになりては、御灸無くては、まがまがしき御こと出で来べしと、各驚き騒ぐ。未だ例無き事は、いかがあるべきと、定め兼ねらる。位にては、只一度例有りけり。春宮にては、未ださる例無かりけれど、いかがはせむとて、思し定む。七にならせ給へば、さらでだに心苦しき御程なるに、まめやかにいみじと思す。医師と大夫定実君一人召し入れて、又、人も参らず。御門の御前にて、五所ぞせさせ奉らせ給ひける。御乳母共、いと悲しと思ひて、いぶかしうすれど、をさをさ許させ給はず。宮いと熱くむつかしう思せど、大夫につと抱かれ給ひて、上の御手をとらへ、万に慰め聞こえさせ給ふ御気色の、あはれに忝さを、幼き御心に思し知るにや、いとおとなしく念じ給ふ。かくて後、程無く怠らせ給ひぬれば、めでたく御心おち居給ひぬ。
大方、今年は地震しげくふり、世の中騒がしきやうなれば、つつしみ思されて、十月十五日より、円満院の二品親王、内に候ひ給ひて、尊星王の御修法勤め給ふに、二十日の宵、二の対より火出で来たり。あさましとも言はむ方無し。上下立ち騒ぎ罵る様、思ひやるべし。大宮院も内におはしましける頃にて、急ぎ出でさせ給ふ。御車の棟木にも、既に火燃え尽きけるを、又差し寄せて、春宮奉らせけり。其の夜しも、勾当の内侍里へ出でたりければ、塗篭の鍵をさへ求め失ひて、いみじき大事なりけるを、上聞こし召して、荒らかに踏ませ給ひたりければ、さばかり強き戸、まろびて開きたりけるぞ恐ろしき。さ無くば、いとゆゆしきこと共ぞあるべかりける。故院の御処分の入りたる御小唐櫃、何くれの御宝、こと故無く取り出だされぬ。それだにも、あまり騒ぎて、御勘文・御産衣などの入りたる物は焼けにけり。上は、腰輿にて、押小路殿へ行幸なりぬ。法親王は、「修法の強き故に、かかる事はあるなり」とぞ宣はせける。此の四月に、御わたまし有りつるに、いく程なうかかるは、げにいみじきわざなれど、昔も、三条院、位の御時かとよ、大内造り立てられて、御わたましの夜こそ、やがて火出で来て焼けにし事もあれば、これより重き大事もあるべかりけるに、夜変はりたらんはいかがはせん。かくて今年も暮れぬ。上は、いよいよ世の中の〔心〕あわたたしう思されて、おり居なんの御心遣すめり。位におはしましては、十五年ばかりにやなりぬらん。未だ三十にも遙かに足らぬ程の御齢なれば、今ぞ盛りに、若う清らかなる御程なめる。