増鏡 - オンライン読書

増鏡 - 00 序

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二月の中の五日は、鶴の林に薪尽きにし日なれば、かの如来二伝の御かたみのむつまじさに、嵯峨の清涼寺に詣でて、常在霊鷲山など心のうちに唱へて、拝み奉る。傍に、八十にもや余りぬらんと見ゆる尼ひとり、鳩の杖にかゝりて参れり。とばかりありて、「たけく思ひたちつれど、いと腰痛くて堪へ難し。...

増鏡 - 01 おどろのした

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御門始まり給ひてより八十二代にあたりて、後鳥羽院と申すおはしましき。御諱は尊成、これは高倉院第四の御子、御母は七条院と申しき。修理大夫信隆のぬしのむすめ也。高倉院御位の御時、后の宮の御方に、兵衛督の君とて仕うまつられし程に、忍びて御覧じはなたずや有けん、治承四年七月十五日に生ま...

増鏡 - 02 新島守

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たけき武士の起こりを尋ぬれば、いにしへ田村、利仁などいひけん将軍どもの事は、耳遠ければさしおきぬ。そのかみより今まで、源平の二流れぞ、時により折に従ひて、おほやけの御守りとはなりにける。桓武天皇と聞えし御門をば、柏原の御門とも申しけり。その御子に式部卿の親王と聞えしより五代の末...

増鏡 - 03 藤衣

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其の頃、いと数まへられ給はぬ古宮おはしけり。守貞の親王とぞ聞えける。高倉院第三の御子也。隠岐の法皇の御兄なれば、思へばやむごとなけれど、昔、後白河の法皇、安徳院の筑紫へおはしまして後に、見奉らせ給ひける御孫の宮たちえりの時、泣き給ひしによりて、位にも即かせ給はざりしかば、世の中...

増鏡 - 04 三神山

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さても、源大納言通方の預かり奉られし阿波の院の宮は、おとなび給ふままに、御心ばへもいときやうざくに、御かたちもいとうるはしく、けだかくやむごとなき御有様なれば、なべて世の人もいとあたらしき事に思ひ聞えけり。大納言さへ、暦仁の頃失せにしかば、いよいよ真心に仕うまつる人もなく、心細...
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